来週、三陸に向かいます。
去年は10月に行ったんだけど、今年は6月の三陸入りです。
去年から今年の初めにかけて「三陸応援」って事で、開店以来使用している宮城県登米市の「油麩」を使った料理の売上から一杯につき50円を積み立ててきました。それに奥様が宮城県出身のお客様御夫婦からの毎回の善意のお金を含め、6万円弱のお金を持って宮城県に向かいます。お金は南三陸町に震災復旧・復興関連事業(全般)の使途限定で寄付してきます。
期間中お料理を召し上がってくださった全てのお客様、、そして善意の御寄付をいただいたYさん御夫婦に心より感謝申し上げます。ありがとうございました。
毎年、自分なりに行く目的を決めて三陸入りするんだけど、何故か毎年お線香をあげる事になるんだよ。今年は女川の佐藤君の親父さん。
「チリの地震の時もあそこ(今回流された自宅)までは水がこなかったから、正直油断していたのも事実だわ」一昨年の三陸入りの時にそう話してくれた親父さんが先月亡くなりました。
たまたま電話をしたその時に危篤と聞いて、その日の訃報。虫の知らせかのような自分からの電話に驚く佐藤君だったのを記憶しています。病気そして寿命?とは言え、この震災の忙しさが無ければもう少し違う結果になったんじゃないのかな?と思うのは自分だけでしょうか。
また、昭和の生き字引を失った気がします。女川と三陸の水産業を担った御大の死、本当の復興を見せてあげたかった。無念です。