「冠婚葬祭」って言葉があるけど、年令とともになのか関わる内容が変わってきた気がする。
婚と葬の存在はわかるけど、冠と祭は何?って訳で調べてみました。どうやら冠=「成人式」ってことで、祭=「法事やお盆や墓参り」のことらしい。
若い時の「冠」や「祭」はあたりまえのようにあり、「婚」については友人やら自分やらで何かとかかわる機会があった訳で、ただ「葬」に関しては両親まかせの場合が多く自分にかかわる「葬」は少なかったと思う。そんな「冠婚葬祭」の位置関係が年令とともに変わってきたのは事実で。
年まわりなのか「婚」がすくなくなり「葬」がおおくなった気がする。直接の参列が無くても、「誰それが亡くなった」という場面に遭遇するのは今では普通になったと思う。
まぁ、「婚」については親戚やら友人の子供やらの成長過程でこれからは少しずつ増えるかもしれないけど、「葬」以上にはならないと思うもの。
そんな日常なんだけど、昨年9月に幼稚園時代からの親友がなくなりました。肺がんでした。
幼稚園から中学まで部活も一緒で、高校から先はちがったけどお互い結婚してからも交友関係は続いていたし、自分の人生ふり返ると、何かとあいつがそばにいた気がする。
自分がこんな風にあちこちに居をかまえるようになって、ここ長野に来てからはことさら疎遠になった訳なんだけど、あいつのことは忘れたことはなかった。そんな親友。
最後にあったのは確か2000年。そして最後に話したのは3年前のお正月だったよ。当時、「仙台市」に住んでいた彼は「会社で役員になったし、もう帰られねーわ」って言ってた。それが最後で。
自分らの仲間のなかで死ぬ要素が一番すくなかったあいつ。自分が死んでも「酒の飲みすぎだべ」ですまされそうなのに、あいつが一番早くっていうのが納得いかなかったよ。
最初ははなしを聞いても涙もでなかった。嘘だと思ったもの。でも現実だとわかった瞬間と、彼の仏壇のまえでは泣いたわ。
彼のお袋さんいわく、いつも帰省してはあわただしく過ごし、職場に帰っていった日々だったという。そんなあいつがなくなる直前の8月、お盆に一時帰宅したさいに言ったという言葉が心からはなれないよ。
「一日がなげーなぁ」 合掌。