今年2016年は長野県諏訪地方の奇祭「御柱祭」が開催される年周りで、つい先日まで祭が行なわれていたんだよね。「御柱祭」は申と寅の年に行なわれるので、次は6年後の寅年に開催されるって事になる訳で。今回の祭は自分がここ長野に来てから 3回目の「御柱祭」だったんだけど、初回は来てから間もなくの開催だったから、単純に計算しても12年以上は住んでるって事になるよね。まぁ、実際には今年で15年になります。そもそも長野という土地は自分の中では遊びや観光に行く場所で、自分の人生設計の中では生活の選択肢にすらなかったんだよ。それが15年・・・。
子供は保育園の年少組から長野にいるし、もう高校生だし、ほとんど長野県人だし、自分は「ひさりな食堂」やってるし、年はとるし・・・。複雑です。
でも、長野って自然があるし、空気がいいし、人がいいし、東京近いし?、雪は自分の田舎ほど降らないし、不平不満は全然ないんだよ。人生いろいろあるけど本当にわからないもので、ここ長野県が自分のこれからの生活の全てになるかもしれないと思うとそれはそれでいいかなって思ったりもするんだよね。決して投げやりじゃなく。だって投げやりに人生すごしても何もいいことないからね。
ようやくそんな言葉を言えるように、書けるようになりました、自分。それもこれも自分に携わっていただいた全ての方々のおかげです。ありがとうございます。
ところで、冒頭の長野県諏訪地方の奇祭「御柱祭」なんだけど、上社・下社にそれぞれ2カ所づつ(計4カ所)のお宮があって、それぞれのお宮の4角に4本(計16本)の御柱が建ちます。この16本の柱を山から切り倒して人力で運んで急坂を落としてまた運んで、お宮の4角に一本づつ柱を建てて終了するのがこの行事です。7年(実際は6年)に一度の為、その年が近くなるにつれ諏訪の男衆の目の色は変わります。そのため、「男を見るなら七年に一度 諏訪の木落し坂落し」なんて言葉がある位なんです。
でも、御柱を見るたびに思います。「自分も御柱になりたい!是非あのような御柱になってみんなの手で建ててもらえるような神のような男になりたい!!いつまでもいつまでも天を仰いでそそり立つ御柱のような男になりたい!!!そして男を見るなら七年に一度ではなく、七日に一度は男を見せたい!!!!」って。