子供の頃、死ぬほど・・・とか死んでもいいから・・・って簡単に「死んでも」とか「死ぬほど」とかって言葉を使って自分の気持ちを表現していたような気がするんだけど、今ではどうでもいいような事でさほど重要でも無いっていう程度のことを当時は「死ぬほど」とか「死んでもいいから」って表現していた事も多々あるんだよね。人の死に直面する事ってなかなか無いから、死ぬ事=極限・最大みたいな表現として使っていただけなんだろうね。
そんな子供が大人になったら間違いなく今でも同じように「死ぬほど・・・」とか「死にそうだった」とか口にしてるはずで。かくいう自分もその一人。まさに大げさの固まりという表現が当てはまるような気がする。いつも自分だけが極限にいるような事を思ってたし、言ってたよ。
良いにつけ悪いにつけ使われる言葉「死ぬほど」なんだけど、結局は「死ぬほど」では死なないんだよね。死ぬほど痛かったと言う奴は今でも生きてるし、死ぬほど食ったって言う奴も生きてるはずだよ。だって、生きてるから「死ぬほどだった」発言できるんだもん。
「本当に死んだんだよ」って言う人の話はあまり聞かないし、メディアの中だけの話がほとんどだもんなぁ。
確かに今の自分は生きてるから言えることで、そして死んでたら伝えられない事でもあるけど、それは20数年前の富士山での事故のこと。事故直前(瞬間)までの記憶はあるけどそれから起こされるまでの記憶が全く無いんだよね。もちろん骨折の痛みも何も・・。
きっとこれって即死の状態なんだと今では思います。痛みも痒みもないもの。死と向き合う瞬間なんて皆、あまり無いと思うし自分は「三途の川」を見たわけでも無いので・・・。だからよく分かりませんが、これだけは言えます。
「死ぬほど・・・」発言した人はその瞬間はまぎれも無く生きている!ってこと。