「偶然」っていう言葉で片付けられる出来事と、それ以外の実は意味のある偶然っぽい出来事ってあると思うんだよね。
自分は人の縁に「偶然」は無いって思うんだよ。だって世界の人口65億人?の中で自分が一生の間に出会う人ってきっと何万人にもならないと思うんだよね。偶然っていうか、通りすがりやすれ違った人々や例えば野球場で一緒に応援した人々には「縁」という言葉はありませんから。それ以外の交わりのあった人だけを「縁」って呼んだ場合、きっと一生で出会える人の数って限られていると思うんだよね。
20年以上前の東京競馬場での事。
その日、競馬好きの実の兄が東京競馬場に来場しているのは知っていたんだけど、当時の競馬場(現在は知らないけど)は来客数が半端無い位のファンで埋め尽くされる時代だったんだよ。きっと他にあまり娯楽が無かったからなんだと思う。そんな競馬場に行った時の出来事で。
当日、東京競馬場に出向いた自分。ハズレ馬券を握りしめながら?トボトボ歩いていると何処からか聞こえる声が・・。
「お~い!」
何だか声が聞こえるわ!ってふと 下を見るとそこには競馬新聞片手の兄貴とその友人の姿が・・・。
「えっっ!?兄貴かい?」って事になるんだけど、これって「偶然ってあるんだね」位にしか当時は考えもしなかったもの。
でも今は、5万人以上はいる「東京競馬場」の観衆の中で、しかも歩いている自分を地べたに座っている兄貴が見つけるなんてこれは「偶然じゃないよなぁ」って思えるようになったんだよね。偉そうな話だけど。これはきっと自分が世間に揉まれてきたから感じられるようになった出来事だと思うんだよ。「縁」の無い人とは出会わないって真剣に思うもの。
ただ、文章にすると「自分が世間に揉まれてきたから感じられるようになった」って部分を何故かSSO目線で見てしまう自分がいるのも事実なんだよね・・・。
「自分が揉んできたから感じるようになった・・・」って。股、SSOだ~~~。