先日、南三陸のC君から「生ホヤ」が届く。
「ホヤ」と言うのは海のパイナップルと言われている魚介類で、独特のクセがあるので好みは人それぞれなんだけど本当に好きな人にはたまらない逸品ならしい。
昨年ぐらいから「ワカメ」の収穫が軌道に乗ったC君。今年は初めて「ホヤ」の収穫もできたようで何しろよかったと思っていた矢先の「ホヤ」の到着だった。
まずは第2ステップまでということかと一安心の自分で。そして、あとは「カキ」の収穫ができるくらいまでになれば良いんだけど、C君の地元では今だ「夢」くらいの現実ならしい。
収穫ができても「カキ」の加工場が無く、加工場の設置費用は莫大で個人でどうなるものではないらしい。今はその辺で暗礁にのりあげているとのことだった。
それにしても、「あたりまえの事があたりまえで無く、あたりまえで無いことがあたりまえ」になっているのが彼らの現在だとおもう。
きっと今ではそういうことすら考えつかないような生活をしいられている人々多々いるだろうと思うとせつなくなる。
「あたりまえじゃ無いことが普通になる」そんな瞬間ってどんなだろう?考えてもラチがあかないことを考えてしまう自分がいるのも事実で。
震災から毎年たずねている三陸なんだけど、毎年行くたびに「お線香」をあげに行くような感じになっているんだわ。
先日のC君との電話内容で・・。
「Oさん、また事後連絡みだぐなってしまったけど、今度は和尚さんの奥さんが5月に亡くなったんだわ」
「膵臓がだめだったらしぐて、見つかったとぎには亡ぐなってたみだいだわ」
和尚さんってのは(2013.07.01 喉もと過ぎれば参照)C君の実家をたずねたときからお世話になった方で、豪快な方だった印象がある。
予測のつかない事とはいえ、これって「あたりまえじゃない事があたりまえなってきている」って事じゃないかなぁ。来年こそは「お線香」をあげることがあたりまえじゃ無く訪れたい「三陸」です。