1964年「東京オリンピック」があった年に若年1歳だった自分。もちろんオリンピックなんて記憶のかけらにも無いのは当然のことで、それよりも我が家にはテレビなるものが存在しなかった。
そのテレビを購入するきっかけになったのはどうやら兄貴の行動だったらしい。当時、我が家に存在している音の出る物体はラジオしかなかったはずで。そんな昔のある日、友人の家から帰ってきた兄貴がラジオの前に座ってじーっとラジオを見ていたらしい。それを見た親が「きっと友人宅でテレビを見てきたんだろう、ラジオを見ても映像は出ないのに・・・子供がふびんだ。」そう思ってテレビを買ったと聞いている。もちろん白黒テレビで、そのテレビは自分が小学2年になるまで使われたあとカラーテレビにとって代わった。
当時、「巨人・大鵬・玉子焼き」なる言葉が大衆の好きな物の例えに使われたんだけど、それも高度成長時代のテレビが普及したことで作られた言葉だと思う。そんな自分も正真正銘の「テレビっ子」なんだけど、当時のA県ではNHKの2放送以外に民放2局しかなく、我が家ではUHFアンテナがなかったのでNHK+民放1局の計3チャンネルしか映らなかった時代だった。だだ、東京キー局の面白い番組をチョイスして放送していたので以外に楽しいテレビライフだった気がする。ちなみに今でも民放は3局しかなく合計5チャンネルのA県のテレビ事情です。
2020年、「東京オリンピック」が開催される。是非、生でオリンピックを見てみたいと思うのは自分だけではないはず。最近の口癖は「東京オリンピックを見るまでは生きるわ」なんだけど、あと6年なんとか頑張る所存です。
それにしても6年後の自分は想像つかないわ。運よく?髪の毛はなんとかなりそうなんだけど、体調が心配だわ。体のあちこちが痛くなるし持久力がなくなった気もするし、何よりも角度が・・・。これがいちばんヤバイ事態かもしれないと感じてるのはSSO的発想の自分だけではないと思うけど、ここもなんとか頑張る所存です。とは言ってもここだけは強いこと言えないし、「EDはい~で~」なんて口がさけても言えないわ。サミシ~。