あの3月11日、東日本大震災からもう6年経ちました。
もう6年なのかまだ6年なのかって話は以前もした気がするけど、こんな気持ちもいつかは薄れていく日が必ず来るとはなかなか思えない自分がいます。
震災以来、宮城は毎年訪ねていますが南三陸町の後輩、ヘビメタ漁師のC君がようやく家を建てました。仮設住宅に一番遅く入居したC君が5年半で退去したことになります。
先日、去年の3月11日近辺に放送されたTV番組を改めて見ていたら、仙台市付近の被災者はもう家を建てて住んでいたり現在建築中って方がかなりいるのに気づきました。当時のC君はようやく土地の取得ができたかどうかって感じだったので、仙台市の転居は早かったということです。なぜかと言うと、それだけ郡部の海沿いには建築できる土地がなく造成も進まないってことだと思います。それでも集団移転して家を建てられる方はまだましです。結局は災害公営住宅に入居するのが精一杯という方もいるはずですので。
今年どうにか居宅を建築したC君ですが今後、震災前の家のローンと今回の建築費用とそして何より生活の基礎となる魚船の支払いの3重苦が重くのしかかってきます。
あまり軽々しくは言えませんが彼なら大丈夫だと思います。そう思わなければ彼にも被災地で頑張っている人々にも失礼だと思います。
今年は三陸にはいつ頃いけるかわかりませんが、ひさりな食堂店内レジ横にある募金箱に皆様のご協力お願いいたします。宮城県南三陸町の自治体に「子育て支援」として自分が届けます。